お知らせ

神社の御由来、御由緒

「報徳二宮神社」の御由来

二宮金次郎は天明7年(1787年)7月23日 相模国小田原領内の栢山(かやま)村で生まれました。

幼少の頃貧しい生活と父母を次々に亡くす不幸に見舞われました。しかし、勉学と農事に励み、菜種や捨苗の栽培の体験から「小を積んで大と為す」という信念の基、コツコツと努力し、やがては落ちぶれた二宮家を再興するに至りました。そのため勤倹力行の模範的人物として伝えられ、戦前にまきっを背負った少年時代の銅像が多くの学校に建てられました。

金次郎は、今までの経験を活かし「報徳仕法」という独自の方法を考案し、関東地方を中心に次々と封建時代の苦しい農民・農村の救済にあたり、70歳で生涯を閉じるまで封建制という社会の仕組みの中で最も効果的な方法で多くの貧しい農村の立て直しに成功したのです。

明治以降、二宮尊徳翁が神として崇められ、報徳二宮神社としてお祀りされるようになり、現在その数は20余社を有し、報徳社など思想を継承する団体が150社以上あると言われています。

「相模大野報徳二宮神社」の御由緒

昭和24年二宮尊徳翁の「報徳の精神」(至誠・勤労・分度・推譲)の教えを地域に広めようと、正木造酒蔵氏を中心とする相模大野駅周辺の地元有志の方々による報徳二宮神社御奉斎の機運が高まり、神奈川県小田原市に鎮座する報徳二宮神社より御分霊を戴き、お社を造営する運びとなり、その後地域の発展と安全を願う多くの参詣者が訪れることとなり、昭和50年8月には御社殿の大造営が計画されました。

また、神社境内地並びに参道を正木三省氏、篠原直範氏、柴田トキ氏などからご寄贈を頂き、御社殿は崇敬者の方々からご浄財を募り造営され、平成9年9月には、地域の変革と共に市の道路拡張計画が持ち上がり御社殿の移転を余儀なくされ、平成10年10月に遷座祭が斎行され現在の地に改めて鎮座されました。

御社殿移転後、平成10年に社務所・神楽殿・平成12年に神礼受礼所が新築され今日に至っております。

なお、当初のお社は現在の御社殿左奥にあり、御分霊を戴きお祀りした当時の名残を留めております。

神社は昭和24年に創建し、
昭和50年に本殿が建築される前には、
昭和27年に生沼の方々が
建設する準備を行いました。

報徳訓

父母の根元は天地の令命にあり
身体の根元は父母の生育にあり
子孫の相続は夫婦の丹精にあり
父母の富貴は祖先の勤功にあり
吾身の富貴は父母の積善にあり
子孫の富貴は自己の勤労にあり
身命の長養は衣食住の三にあり
衣食住の三は田畑山林にあり
田畑山林は人民の勤耕にあり
今年の衣食は昨年の産業にあり
来年の衣食は今年の艱難にあり
年々歳歳報徳を忘るべからず

役員紹介

年中行事

「お知らせ」もご参照ください

歳旦祭一月一日

都市の初めに行われるお祭りで元旦祭とも言います。今年一年が良い歳でありますようにお願いするお祭りです。元旦にその年が良い歳になるように氏神様にお参りするのが初詣です。

節分祭二月三日

節分とは四季の変わり目の事で、冬から春に変わる立春の前日を節分と呼んでいます。この行事は昔、全国で悪い病気がはやった時に、それが悪い鬼のせいだと考えられ、その鬼を退治するために豆撒きをして追い払い、福を迎えるお祭り事が節分祭の始まりです。

例大祭八月 第三土曜日、日曜日

お祭りは氏神様が町の繁栄に力を貸して頂いたお礼として、地元の人々が神様にお供え物を持ち寄り感謝をする祭り事です。また、お神輿が担がれるのは、神様がお神輿にお還りになって、地元の人々により町を廻って町内の栄える姿をご覧いただき、安心して力を貸して頂くという意味が込められております。

七五三詣十一月 第二・第三土曜日、日曜日

七五三のお参りは、子供の成長をお祝いし、神様にこれからも無事に過ごせますようにお願いする祭り事です。また七・五・三という数は、縁起の良い陽数(奇数)に結びついたもので、11月15日という日は徳川綱吉の子供、徳松が成長したお祝いに行われた事が習慣となりました。

その他

おさんぽマルシェ

地元の商店との連携をはかり、おさんぽマルシェも開催しています。
開催日程など詳しい情報はおさんぽマップのホームページをご覧ください。

http://umick.com/osanpomap/marcher.html(外部リンク)

ギャラリー

交通のご案内

鎮座地

〒252-0303
神奈川県相模原市南区相模大野六丁目十一番二十五号

小田急線相模大野駅北口より徒歩8分ほどの場所にございます。

専用駐車場はございませんが近くに市営駐車場がございます。
bono相模大野に隣接しておりますのでお車でお越しの際は市営駐車場をご利用下さい。

二宮金次郎
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